自宅の近くを東高野街道が通っていて、散歩がてらに歩き始めたのが、2005年10月。街ブラが嵩じて、ひょんなことから淀川堤防歩きをした年 で、東海道歩きも始めたころだ。東高野街道を歩き、高野街道を橋本まで歩いたので、次は高野山だろうと、橋本から学文路や九度山までは途切れているが、高 野山を調べ出した。町石道を知ったのもその頃だった。
高野山に登るには7つの口・ルートがあるとおう。いずれの道も歩いてみたいと思うのだが、まずはメイン中のメイン、町石道。今まで2回と1/3歩いたのでこの辺りで整理しておこうと思う。
町石道を歩くにあたり、楽しんで、あるいは漫然と歩くのでなく、それぞれの町石を写真に撮ってやろうと思った。他人様には意味があるとは思えないが、なんでもよいから自分に課すことによって、町石道への集中も高まると思った訳である。
町石道は高野山の開創直後に設けられた参詣道で、慈尊院(海抜94m)から高野山壇上伽藍・根本大塔(同815m)まで、さらに壇上伽藍から高野山奥の院 弘法大師御廟まで至る。まさに高野山への表参道である。その道には、当初、一町約109mごとに木製の五輪卒塔婆を建立し、文永3年(1266)以降は、
鎌倉幕府の有力御家人、安達泰盛らの尽力で朝廷、貴族、武士などの広範な寄進により朽ちた卒塔婆に代わって石造の五輪卒塔婆が建立された。
慈尊院~根本大塔間に180基、根本大塔~弘法大師御廟まで36基が建立されている。 かつては町石のひとつひとつに礼拝して登ったと言われる。
■参考資料
定番:http://choishimichi.com/choishimichi01.html
コースマップ(南海電鉄):http://www.nankai.co.jp/odekake/bochibochi/choishimichi.html
わかやま観光情報:http://www.wakayama-kanko.or.jp/walk/001/index.html
http://www.wakayama-kanko.or.jp/walk/002/index.html
第二回めは良いお天気で、ともかくも壇上伽藍までは行けた。九度山はちょうど「町屋の人形めぐり」の催しで、各家からお人形の展示、お花の展示などがあって、慈尊院への道々楽しめた。九度山、良い街だ。
2011/5/4、二回目チャレンジ。最初の柿畑を登り詰めたあたり。ここからの風景が町石道の案内パンフで一番よく使われた写真だそうだ。天気は晴れなのだが、早朝なので、まだ霧があった。
町石撮影は取りこぼしが多く、8割くらいしかカバーできなかったので、あと2回歩く羽目になった。
一回目、古峠から激坂を降って、やっと上古沢に着いたらそこは谷底で、バテバテになって駅まで登った。この幟が一番堪えた。下古沢へ降りたほうが良かった。
上古沢駅からの眺めは抜群で、ちょうど雨上がりで墨絵のような風景が広がっていた。
ちょうど中間地点の90町石。3回めは慈尊院への降りで2011/11/21だったが、町石1基撮るのに2,3分はかかり、100町石で断念。そこから降りを飛ばしに飛ばしても慈尊院上の柿畑で日没、真っ暗になった。そういう訳で撮りこぼしが残り、4回め撮影行が必要になった。ま、何回歩いてもいいけど。
1.九度山~慈尊院
・慈尊院
・丹生管省符神社