1967年冬、初めての六甲全山縦走。
当時は塩屋が起点だった。6:00塩屋発で、すぐに尾根に上がった。ちょうど大規模な住宅開発で、縦走路は工事現場の横を通るような塩梅だった。(今は須磨浦公園が起点となっているらしい)
市ガ原までは快調だったんだけどなあ。顛末は表に書いた通りだ。
当時、平均所要時間が11時間ということだが、多分12時間くらいはかかった(塩尾寺まで)。早いヤツはなんと6時間27分(主将だったが)、同期のベストは7時間7分だった。いったいどんな心臓してるんやろ。
ちなみに翌年は明るいうちに着いたので、多分4時頃、塩尾寺着だった思う。ちゃんと学習はしている。
昭文社地図(六甲山登山地図・昭和42年版・赤松滋氏執筆)にあった六甲山全縦の参考タイム
柳田國男 講談社学術文庫
2007年8月(8/4) お気に入り度:★★★★ ------------------------------------------
もう何十年も前のことになりますが、大阪に出てきてはじめての冬、六甲全山縦走をしたときの話をします。
毎年冬(12月の第1日曜だったと思う)になると、部の正式行事として塩屋から宝塚まで六甲の全山縦走をするのでした。速い人は文字どおり縦走で、朝6:00に塩屋を出発して昼過ぎには宝塚(ゴールは塩尾寺(えんぺいじ)に設定)に着くのですが、走るのが遅い者はほとんど歩いて、夕方につけばよい、というものでした。私は初めてで様子も分からないので、時々は走るにしても歩くつもりでした。
大まかなコースは、塩屋をでて、須磨浦公園の後ろの山を走り、横尾山(だったか?)を通過、いったん町に降りて再度、高取山に登る。それから鵯越を通って(通ったと思う)、菊水山、再度山、市ケ原、摩耶山、六甲山上、最高峰パラボラ(今となっては死語)、東六甲縦走路、塩尾寺、宝塚というものでした。
最初は快調(なにしろ荷物がないからね)、どんどんとばします。午前中の関門である菊水山も快適に登頂。冬というのに赤いツツジが咲いていたのを覚えています。
さて、摩耶の登りも約半分に差しかかったときの話です。ゆっくりした登りなのですが、がくっとスピードが落ちました。それでも必死の思いで一歩一歩、階段状の坂道を登ろうとします。が、足を階段にかけて体を持ち上げるのが精一杯です。一段上がってはふうふう、一歩歩いてはふうふう。こんな状態に陥りました。そのうち、足を上げるのさえもおっくうに。歩くより休む時間の方が多くなってしまいました。どんどん他の者にも追い抜かれるしまつです。しかし、前に進まないにどうにもならないので、休み休み登りとおし、やっと摩耶山に着きました。このとき、私は「ひだる神」という妖怪に取り憑かれていたと、今思うのです。
柳田さんによると、あちこちでこういう話が報告されていて、どこでもというより、ある限った場所で起こっているのだそうです。例えば、伊勢から伊賀に越えるある峠(柳里恭、「雲萍雑志」巻三)、熊野の大雲取小雲取の山中、和歌山県西部の糸我阪(和歌山県誌下巻)、室生寺の参詣道(高田十郎、「なら」第二十七号、奥宇陀紀行)、長崎県温泉岳の字小田山・辻(井上圓了、「於ばけの正体」)、長崎県南高来郡愛野村岩下越(本山桂川「土の鈴」第四号)。場所によって違いますが、「ダル」とか「ダリ」といったり「ヒダル神」や「ダラシ」といったりしているようです。
なんでも、食べ物を持たずに腹をへらして通ると「ヒダル神」がとりついて一歩も動けなくなり、あるいは体中がダラシなくなり、かといって休んでいると別に苦痛はない。なにか口にしたり(木の葉っぱを噛むだけでもよい)手に「米」の字を書いて嘗めるマジナイでも助かる。 餓鬼がとりついたり、餓死者の怨念がその場所に漂っているという謂がある、と、こうありました。
これは、私の状況と同じです。その時は「街中も通るのでパンやジュース位はあるだろうし、六甲山上は街だ」として何も持っていませんでした。歩きはじめて3~4時間たっていて、空腹になっていたのは確かですが、動けないほどでもない。確かに、摩耶山上でパン(か何か)を食べたら一遍にもとに戻りました。あの状態は何だったのか?よくいう「シャリバテ」かと思っていたら、「ヒダル神」がとりついていたんですね。(実はもう一ヶ所あって、それはユングフラウの氷河の上ですが、半分は高山病が原因か?あの時もレストランでわずかに残っていたケーキを食べたらケロッと直ってしまいました)
まあ、生理学的には「シャリバテ」なんでしょうけど、昔は山の中や旅の途中で動けなくなったら命取りですからね、こういう話が旅の難所では幾度もあって「ヒダル神」の話になったのでしょう。ヒダル神は旅の安全の警告神だと思っています。
それ以後、山行はもちろんのこと、どこか遠出するときは必ず、非常食(とはたいそうですが、ピーナツとかチョコとかアメとかなにか)を携行して、何かあると歩きながらでもポリポリ食べるようにしています。もちろん、次の年の六甲全山縦走は快適に歩きとおしました。 どうもこの経験のない人と一緒に行動するときは、「山頂で昼飯」とか「あそこまで行って昼飯」とか「みんな一緒に昼飯」とか理屈に合わないことをいうので困ってしまいます。
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2007/12/9 画像サイズ調整