2009年7月11日
2012年1月18日
これから山道に入り、日高山から星田山に向かいます。
より大きな地図で
市境をあるく(とりあえずのまとめ) を表示
柵を乗り越えて昔ながらの山道に入ります(13:08)。ミズナラかなにか知らないけど,大木がバンバンあって,なかなかいいじゃないですか。コモンシティはできてから十数年だと思うので,この大木はそれ以前からのものでしょう。手つかずによく
残っていたと思います。団地の範囲外ですからね。団地の中の暑さと比べたら,隔絶された別天地のような気がします。樹々の間を涼風が吹きぬけて行きます。
気に入らないのはこのフェンス。なにもここまでしなくても・・・関係者以外をシャットアウトする思想がありありと見えます。防犯上を考えてということなんでしょうが,関係者以外は潜在犯罪可能者なのか!地の人がよそ者をシャットアウトするのが普通でしょうけど,ここは逆で団地の人が地の人をシャットアウトする。まあ,ここに住んでいる人がシャットアウトするために作ったのではなく,そういう設計で作られた街ということでしょう。都市設計の思想がおかしいんじゃないか?ボクの住んでいる所も団地ですが,そこは古くて,もう40年以上経ちます。最初に団地に入ってきた人の話を聴くと,土地の人が拍手をして迎えにきてくれたんだとか。そういう関係性をこれぽっちも考えさせないこのフェンスです。その腹立たしさもこの樹々の緑が和らげてくれますが・・
ブツブツ言っていると,団地からの道に合流しました。団地の周回の管理道のようです。
まもなく分岐があり,「日高山登り口」とありました。日高山というのを最初から知っていた訳でなくこの看板で知った訳なんですが。(13:12)
ふりかえると,草は生い茂ってはいますが,なかなかよい道です。
左手に目をやれば,遠くに,あれは電通大です。寝屋川の町中から最近越してきたようで,通学 は大変でしょうね。あとで聴いてみると,JR忍ヶ丘から歩いている学生もいるんだとか!
この谷あたりは,二十年ほど前までは赤土むき出しの工事現場のようになっていました。高度成長期を通じて山を切り崩して土を取っていたんでしょう。大阪に住むようになってから,四條畷あたりの山を削っているのを見てびっくりしました。「都会では山は削るものなんか!」と。今は自然に帰ったというか,植生が不自然ながらも,とにかく緑で覆われています。
さて登りですが,おお,これは快適な道です(暑くなければ)。相当よく踏まれていて,おまけに草刈りもしてあります。送電線があるので,多分,関電の管理ルートになっているんでしょう。関電さまさまです。
快適な登りが続きます。こういう道にはどこかに見晴らしのよい場所があるもので,やはりありました。7~8分登ったところです。振り返ってみると,あれは忍ヶ丘周辺が見えていると思います。遠くはモヤっていてよく分かりません。
夏よりも冬~春先はもっと眺めはいいです。
送電鉄塔の西谷山を過ぎます。ここまで分岐からちょうど10分くらいでした。ここから先はほぼ平坦で快適な尾根道が続きます。道は樹の間を通ります。普通は切ると思うんですが,切らずに間を通るという考え方。これは今の時代では貴重だと思います。関電の人もそのままにしているのは尊敬に価します。
ほとんど登りきったところは国見の嶺(くにみのせ)と名札に書いてありました。なるほど、みね でなくて 背 です。夏はともかく、春先は、星田の山の中で1,2を争う気持ちのよいところです。ここはお勧め。
もう少しで頂上かというあたりで(分岐A),右に(南に)下りていく道らしきものがありました。(13:30)地図を見てみると道らしき印があります。後日,例によって「星田の里とやま」をみると,昔,日高山の北尾根から日高山を通り,逢坂に抜ける道があったようで,多分ここがその分岐ではないかと思います。いけそうな気はしますが、夏場は無理でした。秋になっても同じ。2012年1月は、うまいぐあいに刈り込みをいれてくださったので難なく歩けます(右)。
すぐに日高山の頂上にきました(13:31)。ここには日高山の標識と案内板がありました。なるほど道が縦横無尽に走っています。ここまで分岐から約20分。ここで10分ほど休憩しました。
2009年12月2日
2012年1月18日
さて、ここからが難儀です。下の地図ではほとんど平坦な尾根上を市境が走っていて、星田山までのんびりと行けそうですが、日高山から南の四条畷の区域は地形がまったく変わっているのです。道を探しながらあるくしかありません。
1980年ぐらいだったか、日高山の東のぼって谷を遡ったことがあります。まかなかよい谷でのんびり歩けて、どんつきの斜面を登ったら・・・・あたり一面荒地でした。人工的に更地にしてあり、どこでも自由にあるけました。今思い出してみると、日高山直下の破線路を越えて、地図なかほどの破線路あたりまで、山を削ってありました。東はゴルフ場のあたりまで、段差はあるにせよ歩いていけました。
まず、日高山から少し下って、鞍部のところ(分岐A)から南の台地に降ります。
ここは昔、逢坂道の峠であったところです。星田新池から尾根づたいに日高山に登ってきて、ここを通って、逢坂に抜けていました。
台地を少しいくとブッシュも少なくなり、歩けるようになりました。東に見えるのはまだ、日高山です。あのピークからこちらに向かって市境が走っています。
道は明瞭になり、それに従って下っていきます。あの尾根(写真左)がぼって山に連なる尾根、下り坂の中途付近に尾根の取り付きがあります(写真右、分岐B)。踏み跡はありますが、サインも何もないので、尾根に向かって突進します。
最後に少し登れば、ぼって山。
ボッテ谷とは「拂底谷」と書き、谷の深い細長い谷、あるいは谷川がはっきりしている谷筋を指していう言葉のようです。その源流の山なので拂底山。
http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/hosida03/index.htm
さて、ここからがさらに難儀です。ブッシュ
これは市境が走っている、ゴルフ場西尾根(南麓道の尾根)を見ています。
要するにこんな感じで、冬~春先はまあまあ歩けますが、夏はとんでもなく草が茂ります。おまけに茨もあって歩く気がしません。今はバリバリと音を立てながら歩きます。
盛り土して、人口の堤防のようなものになっています。2枚の写真とも左側が四条畷、右側が交野市です。堤防上からの振り返り写真です。ここさえスムーズに通れたら、打上から津田まで尾根上を歩けるコースになるんですが・・・
ブッシュと数分格闘し、やっと東ぼって山の山裾にたどりつきました。山自体は疎林で歩きやすいです。南東斜面から巻き気味に登ったほうが歩きやすい。すぐ右手には下の谷の台地からも斜面が延びていて歩きやすそうな草地がありました。Google mapのほうはもうあきらめて等高線も書いてくれていません。
東ぼって山を越したところにある分岐(分岐D)。ここから北にいくとぼって谷に下ります。ここから快適な道を数分で皿谷山です。
皿谷山、ここから南麓道というのがゴルフ場西尾根に通じていて、そこが市境です。星田山への尾根上は、ほとんど高低差もなくのんびり歩けます。
星田山着。ここは星田の山の最高峰になり278mの三等三角点があります。しかし見通しはありません。周囲の黄葉を楽しむだけです。
ここで昼飯を食っていると登山者が一人現れました。話をしていると、この山や星田園地、くろんど園地は結構歩かれているようでした。星田新池が工事中と か、小松寺や南麓道の様子の話しました。今日は星のブランコからきて南麓道へ行かれるようでしたので「南麓道の先がよく分かりません。めちゃくちゃのよう です」とアドバイスはしておきました。
最後に「このあたりをうろうろしてますので・・・」と言って別れましたが、元の星田園地に帰っていかれるようでした。
2012年1月18日
■迂回ルート
代替ルートとして、ぼって山の南の台地をいく手もあります。しかし、踏み跡があるとはいえ、夏場はブッシュでしょう。
分岐Aから南の台地に降りて、さらに分岐Bも過ぎてほとんど下り坂を下りますと。広場みたいなところがある。ここを東に。トラックが捨ててあります。
盛り土した台地みたいなところの下を通りますが、このあたりがブッシュ。しかも野茨で難儀です。東ぼって山の東の谷筋を狙って入りますが(分岐C)、うまく入れたら水路みたいなのがあります。この部分だけ草丈が低く、歩けます。
東ぼって山の東の分岐Dに登ります。多くの人がここを通っているらしく。道ができています。左の写真は東ボッテ山を降りたあたりです。ここを登る。
■もっとも素直なルート
2009年12月2日
日高山の東の尾根をまっすぐ降りる道があります。ただし、広い尾根なので、頂上からの降り口が不明瞭です。これが一番楽でしょう。
尾根をねらって強引に降りていきますと、階段がでてきて、道であったのがわかるというものです。
10分もしないうちにぼって谷の源頭部の沢の分岐に降りました。西の沢を登って行くと東ぼって山直下の分岐Dに至る。
2010年1月17日
南麓道というのをよく聞きますが、何の南麓なのか?この道としての意味がよく分かりません。言葉から理解すると星田山系の南麓を通って、あるいは南麓の里 (この場合逢坂)に出るという道のようなのですが、逢坂道が、逢坂尾根-日高山-工事跡の台地-農道-逢坂ならば、その東側に、星田山-皿谷山-ゴルフ場の西尾根-逢坂 と通じる道がもうひとつあったのか?狭い谷なんだから一本でいいようなものを?このあたりがよく分かりません。ひょっとす ればゴルフ場のできるずっと前から、今のゴルフ場を横切るように小松廃寺にむかう道があったのか?
逢坂の農道から支谷に入ります。道はすぐに竹林に突入です。手入れも何もないので密生していますが、踏み跡らしきものもあり、まあ歩けます。
赤テープがありました。こんなところを歩いて印をつけるなんぞはマニアのしわざに違いない。どうもこれが南麓道の一端のようです。赤テープは点々と繋がっていますが、池の跡らしい所で谷をを横切るところを過ぎて赤テープを見失いました。池があったということは、昔はかなり奥まで水田があったと思われます。古い地図にも水田記号がありました。
小さな沢(水なし)になっているので、それに沿って登っていきます。小松廃寺の「南麓」ならば、このあたりから沢沿いに登っていてもよいかと。
人工っぽい道らしきものが出てきましたが、笹のブッシュに覆われ、ブッシュを巻きながら登っていくとゴルフ場への道に出てしまいました。地図をみると、目の前にある小山の上を市境が通っているようなので、ニアミスでちょっと覗いたことにはなります。
ここからゴルフ場下の台地を突っ切ろうとしましたが、とんでもないブッシュであきらめ、西から攻めて見ることにしました。
ぼって山の下を通る道と同じコースです。踏み跡がしっかり付いているのでひとまず安心です。分岐点Cもやり過ごし、カーブを曲ったあたりに池がありました。地図には1つしか書いてませんが、道の両側に合計2つありました。
正面の竹に赤テープが巻いてあるところにきました。はて、ここが東の尾根から降りてくる山麓道の出口なのか?降り口を探してみまし たが、それらしい踏み跡は見当たりませんでした。かわりに反対方向に、バス!何でこんなところに?昔の土砂採取工事-ゴルフ場の工事だったかも知れない- の残骸でしょうか。
このあたりから道が2つに別れ、ひとつは坂を登り、もう一つは下の平原に向かって行きます。下の平原は先程ブッシュで抜けてきたと ころです。坂を登る道を取っていますが、東の山側は常緑樹の林で、なんか行けそうな気がします。このあたりに山麓道が降りてくるのか?
また茨に阻まれました。ここで終了か。
よく見るとこのススキは見たような記憶があります。まわりを見回すと、1)後ろにあるこの木、見覚えがあるなあ、2)西側の土手の端っこ、あれ、ここはさっき土手を降りたところだ。という訳で、ルートが繋がりました。
念のため、ここを通過しておきます。まさか茨は乗り越えられないので、思案の挙句、ススキの束の真中を正面突破です。難なく越えられました。なんだ、無理やり通過すればよかったんや!
東側の林は斜面になっていて、その上はゴルフ場です。小さな谷があって、溝が作ってあり踏み跡もあったので、そこをたどって、とにかく上に行ってみること にしました。登りつめるとゴルフ場のグリーンの傍に出ました。ということは、この縁に沿って尾根を登っていけば南麓道になるはず。
30年ほど前には、更地を突っ切ってきて、多分、ここを上ったはずです。グリーンを見ながら細い踏み跡が続いていて、フェンスがあり、ツツジが咲き乱れていた記憶があります。
尾根に取り付き、すぐ頂上にでました。「南池之内山」の看板があり、道標もありました。ここから西に降りていくのが正規の南麓道のようです。今きた道はゴルフ場に入ってしまうので×ということでした。
尾根は歩きやすいです。
パノラマ写真には、焼却場-竹林の平原-こぶ2つが写っています。右側のコブは253mの山でしょう。その左のコブが大きすぎて地図のイメージとちょっと違いますが?その手前の一段と低いピークがボッテ山かと思います。ボッテ山の南は荒れた原野です。
すぐに皿谷山の分岐にきました。その南直下には他の平原(左写真)と比べて一段と高いところに別の平原(右写真)があります。よく見て みると、トラックが1台ありました。まさかこんなところまで道はないはずなので、工事以降放置されたものなんでしょう。いろいろなものがほったらかしに
なっているところですな。
ともかく、これでゴルフ場西側の市境は歩いた(あるいは、確認した)ことになります。ゴルフ場の中は歩くのは無理です。これから、星田山経由で屏風尾根をあるいて、ゴルフ場東へ行きます。やっかいな!
2009年12月2日
今は昔、今のゴルフ場の中に小松寺というのがあって、かなり大きなお寺だったそうです。案内板によると、846年から1703年まで続いたようでした。詳しくは、http://www.eonet.ne.jp/~k-oya/haikomatutera.html
これから「廃小松寺北尾根」と仮に書いておきます。茨尾尾根と書いたほうがいいかも知れませんが、正式地名が分からないので・・・
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星田山からは、ハイキングコース兼関電巡視路を通って、とりあえずは府民の森・星田園地に向かいます。途中の大谷山でハイキングコースと別れます。
さすがにここは良い道がついています。しかし、いったん谷に降りて再び尾根に上らなくてはいけません。谷に下りたところに橋があり、その上に池があります。ここはなすび石の谷の源頭になります。
池の横に広い林道がありますが、すぐにゴルフ場に突き当たります。林道というより、ゴルフ場の管理道を通ってダム管理のために作られているようです。 ここから写真の左(東)の尾根に取りつけば近道のはずです。ブッシュもさほどでもないようで登れそうですが・・・・やめときました。
ちなみに、なすび石の谷の源頭はなかなか楽しい谷です。
関電道どおりに尾根に登ります。このあたりに来るとハイキングの人も多く、数組のハイカーにあいました。北山師岳に到着しました。ここはかなり見晴らしがききます。西側は六甲山から北摂の山が、ポンポン山は無理ですが、よく見えます。東側を見ると、送電線の向こうに、磐船神社の東・八<丁岩付近の「荒地」が見えます。ガケと西側の森の境目を市境が走っているハズです。
西茨尾山。この尾根の北側は茨尾といったらしい。伐採や薪取りで森林がなくなり、茨のような潅木が多生していたのでこの名前がついていたとされています。
この尾根は新緑や紅葉ももよいし、春先の芽吹きの頃から春のツツジ頃がまた格別です。
西茨尾山-茨尾山-北の小門跡-弁財天山と続きます。この道はそこへの参道になっていて、この尾根の中間あたりに西門坂というのがあって、いったん降りて更に今のゴルフ場の中にあったお寺に通じていたようです。尾根から降りていく細い道があったのでゴルフ場をのぞいてみました。
茨尾山。茨尾坂道の頂上という案内板がありました。尾根の途中には石がゴロゴロしていますが、これは参道にあった北の小門の礎石と考えられています。廃寺を偲ばせるものといえば、このくらいです。
弁財天山の辻。ここはツツジの名所。
弁財天山を通過。この先、馬木嶺の方に尾根は続いていますが、途中の鞍部でいったん谷に降りて、星田園地に向います。
降りた先にはまた小さな橋がかかっていました
谷に下りたあと、少しハイキング道を離れてゴルフ場を見に行きました。谷の上部にある池越しにグリーンが見えます。いま立っているところもグリーンのそばですが、落ち葉が積もっていて使っていないコースのようでした。
2009年12月2日
2012年4月17日
橋を渡って大谷山に登ります。大谷山に登る途中からはコバノミツバツツジがたくさん咲いています。
ここからは生駒山が見える。
この先の平坦な尾根をいきますが、その前に急なくだりがある。
降りた先は峠になっていて、踏み跡が続いていました。府民の森のやまびこ広場から道がくるように、古い1万分の1地図には描かれています。が、今の地図はその道は消えています。昔は磐船街道あたりからここを通って廃小松寺に通じていたのではないかと思わせます。その後は伐採や柴刈りの道になったのでしょう。
峠左手の急坂を登ると尾根筋には快適な道がありました。先程の古い地図の道はこの尾根を通るようになっているので、星田から清滝へ抜ける道になっていたのかも知れません。尾根筋の道は陽当たりもよく、見事なコバノミツバツツジ。
尾根道は登りになります。
登りきったところは羽伏山でした。
西には道らしきものがありましたが、次の小ピークにて途切れていました。それもそのはず、その下はもうゴルフ場のグリーンと管理事務所のような建物でした。ここで市境はゴルフ場に突入し、ピークの名残をたどりながら曲線を描いて皿谷山に至っています。ここが限界です。
引き返します。羽伏山を越して、低地に降りきるとグリーンのすぐ傍です。大きな石がある。ここで道はグリーンのすぐそばを回っているような感じで南に旋回します。
次のピークは踏割石山。「踏割石山」とは、さっきの岩を踏んで割ったのか?まさか?すぐ近くをゴルフ場の道が走っています。
木根山
快適な尾根道を行き、東に旋回するとピークにきますが、飯盛小山とのプレートが木に張ってありました。ここは274.2mの三等三角点でもあります。三角点だけあって、ここは見晴らしもまずまずでした。
道は下っていきます。途中にお地蔵様が安置されていました。
秋もよいが、春はツツジが咲きます。
2つの小ピークを過ぎて、ほしだ園地のまつかぜの道峠に到着です。これから南は 飯盛霊園を通って田原にでます。四条畷ゴルフ場東尾根の市境は結構忠実にたどれました。