1.倉治/津田~私部西 をあるく

                            2009年 7月6日

 まずは、平地から歩きます。山は秋までお預けです。津田-春日-村野(ここまで枚方地名ばかりですが)-松塚-私部-茄子作(枚方地名)-星田という予定ですが,はたしてうまくいくか?地図を見るかぎり,市境は田んぼの中,工場の真中を通っていますので・・・

 

春日からのアプローチ

■津田のテンプラ屋さん

 ここは個人的に結構重要な場所になっています。まだ仕事でカケダシの頃,お客様での仕事が終ってこのテンプラ屋さんで昼食になりました。今はこぎれいな店で,割烹などという看板を出していますが,当時は(失礼とは思いますが)いかにも田舎街のほとんど小屋がけの店で,お皿に揚がったテンプラを盛ってあって,「おっちゃん,これとこれとこれ・・・」などと適当に取って食べる,というような気楽なお店でした。昼食というより昼メシという言葉が似合う店でしたが,味は抜群。それに安いし・・・枚方で出張仕事の時は何度か行きました。

  メシを食べつつU商会の常務のいうのには,中身はもう忘れましたが。「・・・・そういう動きをするのがSE(セールスエンジニア)の本質や・・・」とかなんとか。お客様の懐に入って,真のニーズをつかんできて,技術に盛り込む,というようなことを言われたのだと思います。百戦錬磨の営業マンからみたSE論であって,それはなんとも反論のしようがないもので,その時はただ「はいー」というだけでした。しかし,SEという言葉に,「それはボクのやりたいこととちょっと違う」と,そのとき,はっきり思い立ったのでした。それまでのモヤモヤが晴れるきっかけを作った常務の言葉。その言葉を拝聴した場所がこのテンプラ屋さんでした。
 それから,数年。それまで内にこもりがちだったですが,労働組合の役員もすんなり受入れたし,その後は自己申告によって事業部から研究所に代えてもらうことができました。この事件?のあと,かなり人間も変えることができたように思います。
 その後はこのお店には来てないんですが,久しぶりに来てみたら,なんとすました「割烹」のお店になっていました。駅前の再開発に従ってビルに入ったんでしょう。本当はここで昼飯を食う予定だったのですが,出発が遅くなってもう13:30を過ぎたところです。また後日。

 と思って、だいぶん経ってから来てみました。最初は2013年3月末。閉まってました。今日は休業か?さらに、4月頃にも津田に寄りましたが、閉まっていました。どうもランチタイム2時間と夜しか開いてないみたい。

 

■春日通り

駅前からほんの200mくらいで枚方/交野の市境です。ここは家が建っていて,門のところが市境のようです。向かい側は駐車場。これでは歩けません。

その家の裏に回ってみると,田んぼがあります。この田んぼの北の端を市境は通っているようです。その西側はスーパーマーケットです。
市境は商店街?(春日通り)の裏の水路に沿っているようで、歩けません。春日通りを歩きます。

駅前から春日に向かう春日通りを西に向かいます。この通りに面して南側には民家が連なっていて,その裏が市境です。この通りはどの駅前でも見るような光景でした。車や人通りは多いですが(自転車が多い),なんとなく落ち着く通りでした。

まっすぐな道をどんどん西へ歩きます。急に道が狭くなる所に来て,広い通りは南へ曲ります。まっすぐが春日の街の中を行く道です。春日は元々環濠集落になっていて,南へ曲る道はその最外周の道のようです。南の突き当たりからは田んぼが見えました。遠くには交野山が。田んぼのまん中あたりに農道があって,そのあたりが市境のはずです。

 

■水路が市を隔てている

春日の環濠集落から南,倉治に抜ける道を行ってみました。南へ抜ける道はみたところここしかないようです。写真の道の左手が春日(枚方市),右手が倉治(交野市)のはずです。

田んぼと住宅の境界に沿って市境が走っています。「立ち入り禁止」とは書いてないが,入ったらあかんでしょう。

西側を見ていますが,この深い水路が市境のハズです。とても歩けません。

もっと西へ行って,田んぼのまんなかから見てみました。幸い農道があったので市境らしきところまで行ってみました。この畦道が市境か思ったら,もうひとつ北側(左)の畦道のようです。

西側は,田んぼの右手(北)に水路があって,それを越えた所に草ボウボウの空き地があります,ここかな?

どうも違うようです。もうひとつ北の水路です。住宅の際を流れている水路が市境でした。向うに見える赤いパチンコ屋の左(南)へ向かっているはずです。

 ま,あまり快適なウォークとは行きませんが,日ごろ行かない場所から枚方市や交野市を眺めているので,両市の今がよく分かります。どこの田舎を歩いても思うんですが,際限なく都市化,住宅地化が進んでいて,それも田畑をどんどん侵食しています。いくら米が余るからといって,ここまでやればアカンでしょうと思うほどです。食料をどうやって確保するのか?輸入すればエエヤンというのもありますが,この先,ちょっと恐ろしさを感じます。
 あまり人のことは言えませんが・・・津田や交野も適度に都会で適度に田舎です。都会ほど洗練はされていませんが都会の便利さと田舎の土臭さ(微妙な言い方ですが,あまりに線引きしてコンクリートで固めた人工的なところを感じさせない,あるいは日常のビジネス社会を感じさせないところ)を求めているんでしょう,みんな。その分,都会と田舎の入り交じったゴチャゴチャというか不統一感がありますが,そこに妙な安心感を持ったりします。

春日環濠集落に遊ぶ

 どうも枚方ばっかり歩いていて,枚方市境歩きをしているような気もしますが,春日の集落をぶらついてみました。東高野街道歩きをしているとき,出屋敷の街道筋をでて,府道から外れる大峰の道を南下すると,いかにも人工的なまっすぐな道から自然にナナメに外れる小さな道があって,自動的に春日の街に入ってくるのが分かったのでした。狭い路地のような道で春日に入る道の一つだと思っています。これは行ってみなければ・・・

 春日は元々,中世まで津田山の東南麓にあったとされる畠田村(はただむら)が,洪水によって衰え,その住人が春日・津田へ移り,春日の集落が形成されたといわれています。ここは,外敵からの防御や灌漑のために,周囲に濠をめぐらした環濠集落です(でした)。大和や摂津・河内・和泉の中世村落に多くみられ,枚方でもかつては多数残っていたようですが,現在では春日のみとなっているという貴重なものです。環濠はその名残が春日神社の池に残っています。残念ながら写真を撮るのを忘れました。
参考:http://www2.city.hirakata.osaka.jp/freepage/gyousei/bunkazai/serch/bunkazai/pre02.htm?tuNo=187


 この津田山の東南麓というのがよく分からない。ボクの理解では津田山は国見山と国見山の西一帯(植林している清水谷あたり)と思っているので、その東南麓というのは・・・山!今の枚方市野外活動センター。もっと麓ならば穂谷になってしまいますが、そこでよいのか?

 春日神社は,畠田村の祭神を分霊したものといわれ,天児屋根命・比売大神・武甕槌命・経津主命を祀っています。津田山にあったという畠田村は藤原氏ゆかりの人が住んでいたんでしょうか?これもよく分からない。

神社のそばにある大通り。ここが春日環濠集落の境界のようです。右が昔ながらの春日の村,左は新興の春日。春日の集落の環状通りとなっています。

神社の前から村の中に入っていくと春日会館がありました。看板によると共有地の池を売って,村内の道を舗装しこの会館の建設や都市ガスの誘致も行ったようです。細街路とはなんぞや?昔ながらの共同体の結束がものを言ったのでしょう。

たて続けに石燈篭が現れました。どうやらこの道が昔のメイン道路のようです。2つめの石燈篭には(東大寺)二月堂と彫ってあります。この手の石燈篭はこの地方一帯,いたるところで見かけます。


 

中世に歴史を持つ村らしく,辻はだいたい「あて曲げ」になっています。


 

蔵と土塀。破風にある△水マークが印象的です。

 

これは家の門なのか?それともそこを通っている道は公道なのか?遠慮して通りませんでした。

 

またまた現れました,あて曲げ。


 

村の境界の道です。左の写真で,左の道が,枚方から村野を通って春日に至る道かと思われます。生垣の向こうには石燈篭がありました。入門代わりの常夜燈?


 

もひとつ南の道が春日通りです。村内で,先程の進入路を合わせ, ̄|_というように曲っていき,最初の石燈篭を通過して,村外へでていき,津田に至ります。


 ぶらぶら歩きでどこをどう通ったか定かではありません。村内は新しい家もたくさん建っていますが,違和感は感じられません。古い家も手入れしつつ,結構きれいに保たれていて,落ち着ける街になっています。こういう街並みを見ていると,ageingは悪いものでなく,価値ということをあらためて思いました。

幾野に境界道がなく、どこいくの?

幾野のというより,市境外の春日西のパチンコ屋の前で思案しましたが,ここから西,村野までは,市境は工場の端っこまたはまんなかを通りますので,またまた枚方側を歩くことにしました。市境は畑の向うの工場の際を通っていると思います。14:45出発。

 

地図では春日墓地の北側を流れる川(名前不祥)の両岸に道がある(Googleマップでは右岸に道が付いているのようにみえるが,市販の交野市地図では左岸に道がある?古いからか?)んですが,あまり信用できないので墓地から覗いてみることにしました。

 写真の田んぼと工場の境界は市境のようですが,左岸は工場の際で農道が途切れているように見えます。右岸も化学プラントまでは行けそうですが,その後が途切れてそうに見えます。ということで,後日探索,本日は大回りします。

 

下春日橋を渡ったところで,春日集落から来る道と新道は交差しますが,その脇には古い道標がありました。「上講」とは意味不明ですが,多分上の部分が折れてなくなっているのでは?大峰にまいる(修行する)「大峰山上講」が正解かと思います。大峰山に対する信仰集団が大峰講とか山上講・行者講といわれる講組識で近畿を中心にさかんでした(過去形)。

しかし、枚方市も酷い扱いですな。

 この手の道標は近畿各地で普通に見られますが,西は鳥取・島根県から九州,東は遠く岩手県にまで及んでいるとのこと,これはびっくりです。昔は男子と生まれた者は「山上さん参り」の行をすませないと一人前にあつかわれなかったといわれ,成人への通過儀礼のひとつになっていたようです。
ちゃんとした説明は,場所違いながら下記を見てください。、
http://www.city.matsubara.osaka.jp/10,873,53,269.html
http://www.city.matsubara.osaka.jp/10,872,53,269.html
いつもながら加藤 孜子さんは精力的に聞き書きをまとめておられます。なかなかすごいサイトです。
http://www.city.matsubara.osaka.jp/10,0,53.html
http://www.city.matsubara.osaka.jp/sections/86.html

 

 脱線ばかりですが、左は,稲木の保管庫?だいたいこんな形で保管しておりました。稲木とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E6%9C%A8 にあるような写真が普通のようですが,ボクのイナカでは建築の足場を組むような感じで確か10段くらい(もっとか?)のものを,毎年家の前の道端に作っておりました。お盆明け以降はその準備で大変でした。
 右は、脱線ついでに、もひとつ。田んぼの端に作られたハス畑。ここから先,工場団地に入っていきます。市境はこの工場敷地のまん中を通っています。


やっと交野市・幾野-郡津-松塚-梅が枝 とあるく


より大きな地図で 市境をあるく(とりあえずのまとめ) を表示

 

■少しの間、幾野をあるく

工場団地を抜けると村野浄水場の前にでます。

市境はこの写真のすぐ右手で府道を横切り,浄水場の敷地の際を府道に沿って南下してます。浄水場西あたり市境は錯綜していてどこも歩けません

一天俄にかき曇り・・・・一転だったか?コンビニに退避するか?郡津駅までもつなら今日はこれで終りにするか?判断のしどころです。

 

■出鼻橋から再スタート

郡津駅までもどる判断をし,途中に喫茶店でもあるだろうと歩きはじめましたが,やっぱり降ってきて,ほんの10分程度ですが,喫茶店もなくずぶぬれになってしまいました。郡津駅についた頃きれいさっぱり止みました!

ブツブツいいながら郡津駅でタバコと自動販売機のコーヒー。駅で下りた人はびしょぬれのオッサンを不審そうに見ながら,傘をたたんだままさっさと帰宅していきました。気を取りなおして出鼻橋まで戻って16:00再開です。

 

ここからは市境は川です。さいわいにも堤防は刈り込まれていて歩きやすそうです。あまり濡れてもいないし。快適な堤防歩きが続きます。


 

左をふりかえると交野山が・・・田んぼの向うにみえる白い車が通っている道が東高野街道になります。前方の丘は香里というか山の上でしょうか。夏草が生い茂る堤防です。


 

川が北にぐっと湾曲しているあたりが市境のハズです。子供たちが出てきて増水した川をみてワイワイ騒いでいました。「あ,ペットボトルや!」とか「木が流れてきた!」とか。結構な豪雨だったので,それに刺激されて,日常と違うことを発見して結構ハイになっているようです。写真は振り返ってみたところ。

 

南側の田んぼをみると,畦道の向うに農道が見えます。あそこへ行ってみよう。市境はここから田んぼのまん中の畑のようなところを目指して行き,そこから右に折れるようです。

 

田んぼのまん中の農道に来ました。畑のようなところにはきゅうりかトマトが植わっているようです。そのあたりから,遠くにみえるビニールハウスの左手に向かって市境が走っています。


ミソハギ,季語では秋の花です。盆花としてよく使われ,8月に入って,お盆の頃に咲く花と思っていましたが,どうも,どこでももっと早く咲いている。実質,夏の花です。種類が違うのか,それとも適応してきたのか?ボクのイナカではボンゴと言っていました。ショウリョウバナ(精霊花)などの名もあり,ミソハギの和名の由来はハギに似て禊に使ったことから禊萩というらしいです。本来ミソハギなんですね。

 

田んぼから家の建っている台地に上がってきます。敷地の際に植えられた柿の木,よく刈り込まれた岸,坂を下って行くと視界が開けて見渡すかぎりの田んぼ,こういう道が心に残ります。

 

郡津から村野に向かう道(元は農道?)にやってきました。あたりは畑ですが,いちじくの木からかなり強い甘い香りがします。もう少ししたら収穫です。
右は、田んぼの中から来る水路ですが,ここが市境かと思ったら,もう少し左手です。あの木のあたり。そこからちょっとだけ枚方に入ります。


 

■一時的に村野に入る

村野/松塚の団地。京阪電車の先頭あたりが市境になるはずです。街の中に田んぼがあるのか,田んぼのまわりに街があるのか,農道は続きます。うーん,GOLFで農作業に来るのか?!少し前までは軽トラックに荷物をいろいろ積んで,というのが農作業の定番でしたけど,GOLFでなくても「乗用車で農作業」という姿をよく見かけます。


川沿いの道を京阪の線路をくぐると村野の団地に入ります。かなり蒸し暑くなってきました。

 

■松塚をあるく

京阪線の西側にやってまいりました(16:23)。あいかわらず枚方歩きですが,この先の看板のところから再び交野市に入ります。道路の右が枚方市・村野,西が交野市・松塚になります。


団地を西へ突っ切ると,国道168号と天野川です。市境はここから川の中です。南側ですが,歩道がなく,とても国道を歩く気にはなれません。暑いうえに,車がバンバン通ります。


 しかたなく団地の中の道路を通りました。街路樹が整備されていて,木陰は少し涼しげです。

 

■梅が枝はすぐ終わり

交野幼稚園を回って高架に沿って堤防に登りますと先程の国道168に出ます。新天野川橋の歩道が新しくなりました。天野川は水が澄んでいます。このあたりから上流は夕立がなかった模様です。


天野川左岸を私部西へ


より大きな地図で 市境をあるく(とりあえずのまとめ) を表示

 

■天野川堤防をゆく

橋のたもとにはお地蔵様がにらんでおられます。天野川堤防歩きのときはココを横断するんですが・・・・。

2009年7月時点、第2京阪のアクセス道路工事中なので通れません,トラックの向こうには工事見張りのおじさんがにらんでいるし,後ろからはお地蔵さんがにらんでますので,って工事中でなくても通れません。横断歩道を渡りましょう。近くの横断歩道が遠いんですけど・・・2013年1月、その信号のところにコメダができていました。


 

天野川の堤防を歩いていきますが,途中民家の裏庭みたいなところを通ります。のぞく訳ではありませんので・・・あくまで堤防歩きです。なかなか感じのよい道が続いています。


住宅が切れて田んぼが現われると,そこが市境でした。お墓に向かうこの畦道も通れないことはないですが,遠慮しました。

 

少し行くとうまい具合に道が下っていきます。田んぼの中をお墓の方につながっています。境界にはだいたいこのようなお墓があります。


 

■第2京阪アクセス工事で激変中

失礼します。お墓を突っ切っていきます。お墓に来てまでゴミを捨てる輩がいるんでしょうか?警告の看板がありました。世も末とはこのことです。

お墓を抜けるとすぐ茄子作(枚方)です。2009年7月時点で、第2京阪へのアクセス道路が建設中でした。これは何年か前からやっています。1号線田口から,府道18号を通って第2京阪に,と思っていたら、一号線・枚方から第2京阪にアクセスする道路のようです。2013年10月時点で、地図には国道168と書いてありますが、釈尊寺あたりで尻切れトンボです。現在のところ府道18号との連結だけのようでした。工事中の写真ですが、載せておきます。


市境の横の(交野市側の)コンビニで休憩としました(17:10)。ツバメが入口上に巣を作っていて,ちゃんとアミで囲ってありました。巣を作れるように元から板をはってあるようです。看板も取り替えられるようにうまく作ってあるようでした。ここで休憩。

ここは府道との交点付近です。この辺りから、市境は東高野街道を通るようになります。


これは2013年9月23日の、上左写真と同じ場所です。まだ工事現場然としていて、クルマが通るだけの辻になった気がします。賑わいというものが感じられない。

 

■東高野街道に沿って

第2京阪取りつき道路から離れた東高野街道を歩きます。水道道を越して行きますが,いつもここには車が停まっているなあ。

2009年3月7日
2009年3月7日
2009年7月6日
2009年7月6日

いつもの本尊掛松の遺跡ですが,住宅も完成してきれいに整備されています。が,この道標なんとかならんかったんでしょうか?本尊掛の・・・・


 

上ん山の辻。ここ数年で様変わりしました。右から来るのが山根街道,左は東高野街道。振り向いて写真を撮っています。

 

府道20号と合流したあたり。このあたり,Googleマップと市販のマップで市境が微妙に異なっていましたが、Googlマップも修正されているようです。東高野街道=市境は斜めに府道を横切って,畑の中に入っていったのですが,そこは第2京阪の工事中でした。工事が終わって完全に行き止まり。


工事中の第2京阪をくぐって,コンビニから少し入ると,東高野街道に沿って住宅地がになっています。右はコンビニ。

工場と畑の境界あたりが市境のはずで,そこから右に折れているはずです。ここを往復していると,散歩をしている人と,畑で農作業している人が話をしていて,「藤が尾とはどのあたり?」「ああ,星田の領地になるんですか」四條畷あたりから来ている人のようで,土着の古い人には,村が違えば異国という感覚が定着しているようでおもしろかったです。

 

■市境は道を離れる

元のコンビニまで引き返し府道に戻るとすぐ市境が現れました。市境は府道を横断し農道の手前を右の方に入っていきます。

 

その農道は工事のため行き止まり,第2京阪をくぐって茄子作からの農道は確保されているようです。


 

さて市境はこの送電線鉄塔の根本を右まわって,そこから田んぼの中をまっすぐ,前方に見える工場建屋の右あたりにかかっています。国土地理院の地図をみると,田んぼはゆるやかな谷に作られていて,田んぼの,ほぼまん中を走っています。


 余計なお世話なんですが,一枚の田んぼが2市にまたがる場合など税金はどうするんでしょう?ま帳簿上のことは案分すればよいだけですが,市境を挟んで両 側の家などは,違う市の管轄になるんでしょうね。小さい子供などは,(公立の)小学校や幼稚園も異なるんでしょうね。しかし実際は,こどもは普通に近所の 子供同士で遊ぶだろうし,近所付き合いも普通にあるんでしょうね。公式の境界で私の関係性がぶった切られる心配はないのでしょうか?まことに余計なお世話 なんですが・・・

 

最後に田んぼの中の市境に近い星田のお墓の端っこまでいってみました。なるほど,田んぼがゆるやかな谷に作られているのがよく分かります。端の水路横には農道も来ているようですが,この先はどうなっているのか?いけないこともないようですが,見るだけにしておきます。



 18:00ちょうど,これにて1回目は終ります。予想通りほとんど市境は歩けなかったですね。

 

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