kaze88 (金曜日, 02 10月 2020 06:54)
来られたんですね^^ walkinさんのように経塚いっぱい見てるわけではないですし 16番のように探しに行ってるのに見つけられなかったものでも(見つかれないくらいのものでしかないとも言える) あの南花内の経塚の立派さはわかります。 17枚目の画像は馬橋の地蔵堂ですね! 御所町には4っつの地蔵堂が今も残ってますね。鴨都波神社 崇道神社まで寄って来られたようで^^ (当方 鴨都波神社はきっちり訪問したことはないですww walkinさんの興味の有りそうな記事は少ないですが:https://kaze88.hatenablog.jp/
walkin (木曜日, 17 9月 2020 17:29)
kaze88さま ■猿目橋BSから北に100mくらい 行ってきましたが、なにもなさそうでした。草刈りしないと分かりませんね。 同時に南花内の経塚も見てきました。見たこともないような立派なものでした。 レポ:https://yamap.com/activities/7682347 ■櫛羅地蔵 当時参考にしていたブログが出所です。 http://uo-shinji.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_6d52.html それではまた
kaze88 (土曜日, 12 9月 2020 09:53)
以前の投稿読み直しました。櫛羅地蔵も候補地と書かれてますね! 候補地 5個ですかwww
kaze88 (金曜日, 11 9月 2020 05:00)
猿目橋BSから北に100mくらい ということなら、梅室への道との分岐点辺りだと思うのだが 不動寺からの帰り車で下りながらみてる範囲ではどのへんかもわかりませんでしたww
walkin (火曜日, 08 9月 2020 21:44)
こんにちは その(第4の)第二十三経塚ですが、以前ブログに書いてました。 『なお、奈良文化財研究所飛鳥資料館倶楽部では、第二十三経塚について、櫛羅の猿目に櫛羅経塚があるが、「バス停・猿目橋を北に約100mいったところにも経塚があった。道路新設工事でたまたま発見されたもので、埋蔵品は橿原考古学研究所に保存されている。この経塚も、葛城二十五経塚の一つかと思われる。」』 なんで飛鳥資料館なのか、なんで橿原考古学研究所なのか、訳が分かりませんが、さらに、どこから引用したのか不明ですが、ともあれ、猿目橋BSから北に100mくらいということらしいです。カーブの手前。引用した責任で一度行ってみないとあきませんなあ。
kaze88 (月曜日, 07 9月 2020 18:07)
不動寺に行って話しを聞いてきました。 猿目橋から少しバス道を山に上がったところ(梅室への道との分岐周辺なのかと?)にも経塚があるという話でした。 ただ かなり埋もれてるようで今では見つけにくいそうです。 見つかった資料は市の教育課に預けたとのことですが 放置気味にされてるとのことでした。
kaze88=shige@新庄 (木曜日, 13 8月 2020 14:36)
4.5のコース興味あり! 新庄河内屋治兵衛宅 ってどこだ? 逆に疑問も出てきましたが・・・・ww 一度 不動寺に行って話聞けるなら聞いて来ようと思ってます。 こちらこそありがとうございました。 地元の篤志家、信者、講が建立か わかる範囲で聞いてみます
walkin (水曜日, 12 8月 2020 20:29)
kaze88さま 疑問氷解のようでなによりでした。 前にちょっと違った事を書いたこともあり、こちらもちょっとおもしろくなったこともあり、継続して詳細を調べてみました。 1.金剛山から降りてきて、関屋からまっすぐ長柄ー宮戸ー蛇穴ー吉祥草寺に向かう行者道(筋違道、葛上道)があった。(本編p154) 2.界那寺跡ークジラー里道か、界那寺跡ー葛城山ー岩橋山尾根道を通ったかわかりにくい(室町時代・京都千勝院・鎮永・葛城嶺中記) 3.クジラ経塚ー新庄ー大田ー伏越ー平石峠(室町時代・京都千勝院・鎮永・葛城嶺中記) 4・朝原寺ー長柄ー一言主明神ー新庄河内屋治兵衛宅(宿泊)ー當麻寺(江戸前期迎之坊葛城嶺中記) 5.朝原寺ー長柄ー一言主寺(泊)ー茅原吉祥草寺ー新庄ー當麻ー二上山(嘉永三年京都発駕宿継次第) 6.金剛山ー石寺ー船宿寺ー長柄ー一言主寺ー茅原吉祥草寺ー御所ー新庄ー當麻(嘉永二年聖護院宮葛城入峰) 拾い読み結果は以上です。 確かに、新庄を通った(泊まった)事例が載っていました。 この法華経塚は地元の篤志家、信者、講が建立したものと思われます。 葛城28宿経塚、もういっぺん歩いてみたくなりました。ありがとうございました。 ■マップ https://www.google.co.jp/maps/@34.4577408,135.7170003,3653m/data=!3m1!1e3!4m2!6m1!1s1q-GHqWs26RSkINZ-oUHF7vU82HEbJi9R
kaze88 (月曜日, 10 8月 2020 15:34)
>金剛を降りてきた行者さんは、吉祥草寺にお参り、その後、新庄を通って、あるいはそこで一泊して岩橋山や平石峠に向かったコースが多いとされていました そいうことか! それなら南花内の経塚も納得できます。 戒那千坊は 櫛羅あたりから新庄:寺口 あるいは當麻あたりまで広がってのかも! 経塚の写真貼ってなかったのと 位置がずれてたので 急遽画像アップと位置修正送信しておきましたw
walkin (月曜日, 10 8月 2020 13:55)
kaze88さま 場所確認できました。ありがとうございます。 ストビューで見ると、えらく立派な経塚ですね、びっくり。後日確認に行ってみます。 場所は新庄ですね。「葛城の峰と修験の道」を見ていますと、金剛を降りてきた行者さんは、吉祥草寺にお参り、その後、新庄を通って、あるいはそこで一泊して岩橋山や平石峠に向かったコースが多いとされていました。新庄は修験に馴染みの深い里だったようです。 それでは
kaze88 (日曜日, 09 8月 2020 17:07)
Googleが申請受け付けてくれたようですww https://goo.gl/maps/KGjJAAYL9qwUoLo89 この経塚です。目の前が行きつけの喫茶Tcompany。 Gストリートビューで見れるはずです 吉祥草寺 東西4km 南北5Kmということなので 寺を一番南に持ってくれば 十分に境内・管内に入る場所です。
walkin (日曜日, 09 8月 2020 09:40)
吉祥草寺!役行者生誕の地ではないですか。 葛城二十八宿と関係おおあり、別格になるんではないかと。 その経塚の場所はどこでしょうか? 吉祥草寺も行ってないし今度合わせて行ってみます。 リンクの素性ありがとうございました。こちらもブログのほうにはったままでした。 それでは
kaze88 (土曜日, 08 8月 2020 05:44)
本を見るしかないのかな! 23番櫛羅から下に降りて24号あたりまで下りて少し北上したところに、 結構でかい法華経塚があるのですが・・・・近くの人に聞いても由緒等不明で、場所的に古くは吉祥草寺管内に入るくらいの場所ですし、葛城二十八宿に関係するのかと思ったもので 失礼しました。
walkin (金曜日, 07 8月 2020 20:02)
kaze88さま コメントありがとうございます。 ボクは修験の行者でもないんですべて受け売りですが、 1.法華経塚は各地にあるようです。 2.葛城二十八宿経塚は、葛城山系(今の金剛山系、大和葛城山系、和泉葛城山系、および友ヶ島)において、その昔、役小角が法華経八巻二十八品を埋納したとされる経塚を言います。その他の山系(生駒、大峰など)も役小角が修行して、経塚もありますが、葛城二十八宿は葛城山系にあるものを指します。 詳しくは、「葛城の峰と修験の道」中野榮治 ナカニシヤ出版をご参照ください。すべてこちらからの受け売りです。 よろしくどうぞ
kaze88 (金曜日, 07 8月 2020 09:21)
初めまして! すこしお聞きします 葛城二十八宿以外に 法華経塚はあるのでしょうか?(近くにあるのでかなりあるんだと思っています。) あるとすれば 二十八宿に入るか入らないか?の差は何に起因するのか? いろいろある法華経塚から 適当に選ばれた28塚なのでしょうか?
walkin (水曜日, 24 5月 2017 16:41)
eikoさん:腕はだいぶん治ってきました。しかし、足に飛んできてジンマシンみたいになっています。ちょっとおとなしくしております。それではまた。
eiko (月曜日, 22 5月 2017 20:25)
大丈夫なん?奥様も一緒に?草刈りやわ~�きっと❕
walkin (土曜日, 20 5月 2017 19:25)
eikoさん、コメントありがとうございます。お暇なときにでも見てやってください。 数日イナカに帰ってまして、現在、かぶれ中。草刈りと剪定のせいかと思います。かいいー! それではまた
eiko (日曜日, 14 5月 2017 18:55)
ホームページはありませんが、今日、ホームページ知りました�楽しみに見ますね。よく、ご存知の永子さんでした�
walkin (火曜日, 20 9月 2016 22:46)
テスト
walkin (月曜日, 18 7月 2016 17:27)
よしを さん コメントありがとうございます。 俊徳道、ところどころ分からなくなり適当に歩いていますので、ご注意ください。 よい街道あるきをお祈りしております。 それでは
よしを (日曜日, 17 7月 2016 06:26)
おはようございます。俊徳道を高安の里から四天王寺まで歩いて見たく思いネットで検索したところここに来ました。判りやすく写真もきれいで素晴らしい内容です。 摂州合邦が辻も弱法師も好きでしたので大阪市内の古跡は何箇所か歩きましたが、次は俊徳道と業平道にチャレンジします。
walkin (土曜日, 25 6月 2016 13:41)
ktakaさん コメントありがとうございました。 しばらく開店休業でお返事が遅れました。 ■件の峠の正式名はわからないのです。ボクは赤目坂側なので、通常「尾藤へいく峠」または「行者はんの峠」と聞いていました。尾藤側からは「赤目坂の峠」で正解だと思います。 ■お寺は常楽寺さんですね、あの道また歩いてみたいと思います。 それでは
ktaka (月曜日, 02 5月 2016 15:38)
尾藤峠の記事拝見しました。 元地元住民ですが、尾藤峠というのを初めて知りました。 自分はずっと、赤目坂の峠と言っていました。 常楽寺の前にお店があったとのことですが、たぶんそれは、常楽寺横を 奥に少し登ったところにあった駄菓子屋さんではないかと思います。 そこで、小学校の遠足用のお菓子を買った記憶があります。
2024/2/22 Jimdo Free として再開。
Book Walkin'ページ作成
訪問者数 by せっかくカウンタ
http://count.sekkaku.net/
2023/06/26で約41576カウント
2017/04/22で約17200カウント
あちこち街道:walkin'(完)
どこでも散歩1:dokodemo2(完)
どこでも散歩2:dokodemo3
だらだら日常:stellabyhydra
どこどこ登山:dokodoko(完)
どこどこ登山2:dokodoko2(New)
:YAMAP版(New)
kaze88 (金曜日, 02 10月 2020 06:54)
来られたんですね^^
walkinさんのように経塚いっぱい見てるわけではないですし
16番のように探しに行ってるのに見つけられなかったものでも(見つかれないくらいのものでしかないとも言える) あの南花内の経塚の立派さはわかります。
17枚目の画像は馬橋の地蔵堂ですね! 御所町には4っつの地蔵堂が今も残ってますね。鴨都波神社 崇道神社まで寄って来られたようで^^ (当方 鴨都波神社はきっちり訪問したことはないですww
walkinさんの興味の有りそうな記事は少ないですが:https://kaze88.hatenablog.jp/
walkin (木曜日, 17 9月 2020 17:29)
kaze88さま
■猿目橋BSから北に100mくらい
行ってきましたが、なにもなさそうでした。草刈りしないと分かりませんね。
同時に南花内の経塚も見てきました。見たこともないような立派なものでした。
レポ:https://yamap.com/activities/7682347
■櫛羅地蔵
当時参考にしていたブログが出所です。
http://uo-shinji.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_6d52.html
それではまた
kaze88 (土曜日, 12 9月 2020 09:53)
以前の投稿読み直しました。櫛羅地蔵も候補地と書かれてますね!
候補地 5個ですかwww
kaze88 (金曜日, 11 9月 2020 05:00)
猿目橋BSから北に100mくらい ということなら、梅室への道との分岐点辺りだと思うのだが 不動寺からの帰り車で下りながらみてる範囲ではどのへんかもわかりませんでしたww
walkin (火曜日, 08 9月 2020 21:44)
こんにちは
その(第4の)第二十三経塚ですが、以前ブログに書いてました。
『なお、奈良文化財研究所飛鳥資料館倶楽部では、第二十三経塚について、櫛羅の猿目に櫛羅経塚があるが、「バス停・猿目橋を北に約100mいったところにも経塚があった。道路新設工事でたまたま発見されたもので、埋蔵品は橿原考古学研究所に保存されている。この経塚も、葛城二十五経塚の一つかと思われる。」』
なんで飛鳥資料館なのか、なんで橿原考古学研究所なのか、訳が分かりませんが、さらに、どこから引用したのか不明ですが、ともあれ、猿目橋BSから北に100mくらいということらしいです。カーブの手前。引用した責任で一度行ってみないとあきませんなあ。
kaze88 (月曜日, 07 9月 2020 18:07)
不動寺に行って話しを聞いてきました。
猿目橋から少しバス道を山に上がったところ(梅室への道との分岐周辺なのかと?)にも経塚があるという話でした。
ただ かなり埋もれてるようで今では見つけにくいそうです。
見つかった資料は市の教育課に預けたとのことですが 放置気味にされてるとのことでした。
kaze88=shige@新庄 (木曜日, 13 8月 2020 14:36)
4.5のコース興味あり!
新庄河内屋治兵衛宅 ってどこだ? 逆に疑問も出てきましたが・・・・ww
一度 不動寺に行って話聞けるなら聞いて来ようと思ってます。
こちらこそありがとうございました。
地元の篤志家、信者、講が建立か わかる範囲で聞いてみます
walkin (水曜日, 12 8月 2020 20:29)
kaze88さま
疑問氷解のようでなによりでした。
前にちょっと違った事を書いたこともあり、こちらもちょっとおもしろくなったこともあり、継続して詳細を調べてみました。
1.金剛山から降りてきて、関屋からまっすぐ長柄ー宮戸ー蛇穴ー吉祥草寺に向かう行者道(筋違道、葛上道)があった。(本編p154)
2.界那寺跡ークジラー里道か、界那寺跡ー葛城山ー岩橋山尾根道を通ったかわかりにくい(室町時代・京都千勝院・鎮永・葛城嶺中記)
3.クジラ経塚ー新庄ー大田ー伏越ー平石峠(室町時代・京都千勝院・鎮永・葛城嶺中記)
4・朝原寺ー長柄ー一言主明神ー新庄河内屋治兵衛宅(宿泊)ー當麻寺(江戸前期迎之坊葛城嶺中記)
5.朝原寺ー長柄ー一言主寺(泊)ー茅原吉祥草寺ー新庄ー當麻ー二上山(嘉永三年京都発駕宿継次第)
6.金剛山ー石寺ー船宿寺ー長柄ー一言主寺ー茅原吉祥草寺ー御所ー新庄ー當麻(嘉永二年聖護院宮葛城入峰)
拾い読み結果は以上です。
確かに、新庄を通った(泊まった)事例が載っていました。
この法華経塚は地元の篤志家、信者、講が建立したものと思われます。
葛城28宿経塚、もういっぺん歩いてみたくなりました。ありがとうございました。
■マップ
https://www.google.co.jp/maps/@34.4577408,135.7170003,3653m/data=!3m1!1e3!4m2!6m1!1s1q-GHqWs26RSkINZ-oUHF7vU82HEbJi9R
kaze88 (月曜日, 10 8月 2020 15:34)
>金剛を降りてきた行者さんは、吉祥草寺にお参り、その後、新庄を通って、あるいはそこで一泊して岩橋山や平石峠に向かったコースが多いとされていました
そいうことか! それなら南花内の経塚も納得できます。
戒那千坊は 櫛羅あたりから新庄:寺口 あるいは當麻あたりまで広がってのかも!
経塚の写真貼ってなかったのと 位置がずれてたので 急遽画像アップと位置修正送信しておきましたw
walkin (月曜日, 10 8月 2020 13:55)
kaze88さま
場所確認できました。ありがとうございます。
ストビューで見ると、えらく立派な経塚ですね、びっくり。後日確認に行ってみます。
場所は新庄ですね。「葛城の峰と修験の道」を見ていますと、金剛を降りてきた行者さんは、吉祥草寺にお参り、その後、新庄を通って、あるいはそこで一泊して岩橋山や平石峠に向かったコースが多いとされていました。新庄は修験に馴染みの深い里だったようです。
それでは
kaze88 (日曜日, 09 8月 2020 17:07)
Googleが申請受け付けてくれたようですww
https://goo.gl/maps/KGjJAAYL9qwUoLo89
この経塚です。目の前が行きつけの喫茶Tcompany。
Gストリートビューで見れるはずです
吉祥草寺 東西4km 南北5Kmということなので 寺を一番南に持ってくれば
十分に境内・管内に入る場所です。
walkin (日曜日, 09 8月 2020 09:40)
吉祥草寺!役行者生誕の地ではないですか。
葛城二十八宿と関係おおあり、別格になるんではないかと。
その経塚の場所はどこでしょうか?
吉祥草寺も行ってないし今度合わせて行ってみます。
リンクの素性ありがとうございました。こちらもブログのほうにはったままでした。
それでは
kaze88 (土曜日, 08 8月 2020 05:44)
本を見るしかないのかな!
23番櫛羅から下に降りて24号あたりまで下りて少し北上したところに、
結構でかい法華経塚があるのですが・・・・近くの人に聞いても由緒等不明で、場所的に古くは吉祥草寺管内に入るくらいの場所ですし、葛城二十八宿に関係するのかと思ったもので 失礼しました。
walkin (金曜日, 07 8月 2020 20:02)
kaze88さま
コメントありがとうございます。
ボクは修験の行者でもないんですべて受け売りですが、
1.法華経塚は各地にあるようです。
2.葛城二十八宿経塚は、葛城山系(今の金剛山系、大和葛城山系、和泉葛城山系、および友ヶ島)において、その昔、役小角が法華経八巻二十八品を埋納したとされる経塚を言います。その他の山系(生駒、大峰など)も役小角が修行して、経塚もありますが、葛城二十八宿は葛城山系にあるものを指します。
詳しくは、「葛城の峰と修験の道」中野榮治 ナカニシヤ出版をご参照ください。すべてこちらからの受け売りです。
よろしくどうぞ
kaze88 (金曜日, 07 8月 2020 09:21)
初めまして! すこしお聞きします
葛城二十八宿以外に 法華経塚はあるのでしょうか?(近くにあるのでかなりあるんだと思っています。)
あるとすれば 二十八宿に入るか入らないか?の差は何に起因するのか?
いろいろある法華経塚から 適当に選ばれた28塚なのでしょうか?
walkin (水曜日, 24 5月 2017 16:41)
eikoさん:腕はだいぶん治ってきました。しかし、足に飛んできてジンマシンみたいになっています。ちょっとおとなしくしております。それではまた。
eiko (月曜日, 22 5月 2017 20:25)
大丈夫なん?奥様も一緒に?草刈りやわ~�きっと❕
walkin (土曜日, 20 5月 2017 19:25)
eikoさん、コメントありがとうございます。お暇なときにでも見てやってください。
数日イナカに帰ってまして、現在、かぶれ中。草刈りと剪定のせいかと思います。かいいー!
それではまた
eiko (日曜日, 14 5月 2017 18:55)
ホームページはありませんが、今日、ホームページ知りました�楽しみに見ますね。よく、ご存知の永子さんでした�
walkin (火曜日, 20 9月 2016 22:46)
テスト
walkin (月曜日, 18 7月 2016 17:27)
よしを さん
コメントありがとうございます。
俊徳道、ところどころ分からなくなり適当に歩いていますので、ご注意ください。
よい街道あるきをお祈りしております。
それでは
よしを (日曜日, 17 7月 2016 06:26)
おはようございます。俊徳道を高安の里から四天王寺まで歩いて見たく思いネットで検索したところここに来ました。判りやすく写真もきれいで素晴らしい内容です。
摂州合邦が辻も弱法師も好きでしたので大阪市内の古跡は何箇所か歩きましたが、次は俊徳道と業平道にチャレンジします。
walkin (土曜日, 25 6月 2016 13:41)
ktakaさん
コメントありがとうございました。
しばらく開店休業でお返事が遅れました。
■件の峠の正式名はわからないのです。ボクは赤目坂側なので、通常「尾藤へいく峠」または「行者はんの峠」と聞いていました。尾藤側からは「赤目坂の峠」で正解だと思います。
■お寺は常楽寺さんですね、あの道また歩いてみたいと思います。
それでは
ktaka (月曜日, 02 5月 2016 15:38)
尾藤峠の記事拝見しました。
元地元住民ですが、尾藤峠というのを初めて知りました。
自分はずっと、赤目坂の峠と言っていました。
常楽寺の前にお店があったとのことですが、たぶんそれは、常楽寺横を
奥に少し登ったところにあった駄菓子屋さんではないかと思います。
そこで、小学校の遠足用のお菓子を買った記憶があります。