東高野街道が気になっています。
2005年に竹内街道ウォークで古市に行ったとき、竹内街道が東高野街道とクロスしていて、少し東高野街道を歩きました。なかなか気持ちのよい道だったので、一度通しで歩いてみたいと思っていました。調べてみると家の近くを通っているという!
さらに、2008年にお墓を建立し,うちは真言宗(高野山)なので,近くの真言宗のお寺に法要をお 願いしたところ,ご住職は東寺系ということでした。日頃は全く信心深くはないのですが、通しで歩いてみるのも供養の一つかと、当時から高野山まで歩いてみました。
東寺から高野山への巡礼の道が東高野街道で、それは巡礼だけでなく古代以来の南北幹線であり、軍事 の道でもありました。さらに昔は河内湖東岸を行く幹線であったようです。
細切れ道草です。街道のルートを忠実に歩いている訳ではありません。ほとんどが国道や府県道になり、クルマがびゅんびゅん通るので、回避して裏道を通っています。むしろそのほうが、土地土地の特徴を見ることができ、そこにしかない風景を楽しむことができます。
すでにブログに書いているので、その整理をしつつ、実際の記録は該当するブログに誘導しています。
八幡女郎花ー八幡
松花堂庭園のある八幡女郎花から八幡・岩清水八幡宮前まで逆向きに歩きました。岩清水八幡宮門前だけに名所旧跡は多いですが、それだけでなく、古き街道筋の風情が残っています。それとともに要所要所にある三宅安兵衛の道標を見ることができます。八幡女郎花近くの「隅切り八角」の八角堂もおすすめです。
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【道草】鏡伝道・交野天神社
いきなり番外の道草です。鏡伝道とは鏡が伝わってきた道かと思って行ってみたら、継体天皇の(伝)即位の地、樟葉宮跡地へ通じる道でした。その先には鏡のような鏡伝池があり、桓武天皇が郊祀団を設けて父君光仁天皇を祀ったという起源をもつ交野天神社があり、樟葉宮跡地につながっていました。ニュータウンの真ん中にある静かな聖地でした。
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八幡月夜田ー高野道
住宅開発の国道1号沿線の開発で完璧に破壊されているエリアです。その中で、街道の痕跡を見つけるのが醍醐味となります。左の円福寺道標(三宅安兵衛建立)もトラックが衝突して撤去、某所で余生を送っています。
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【補遺】高野道ー招堤 2009年6月15日
歩き漏らしたところがあったので行ってきました。ちょうどフィレオ枚方の背面(国道1号と反対側)です。ちょっと旧いお屋敷もありましたが、すぐに招堤の工業団地に吸収されてしまいました。
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招堤ー出屋敷ー大峰【道草】
招堤のあたりは工業団地、国道で街道は消えています。国道の喧騒を逃れて山田池で休憩、出屋敷の静かな街道の村を歩きます。出屋敷は古い街道の風情をうまく取り込んで、街むらの価値を高めるのに成功しているように見えます。
さらに府道に吸収された街道歩きを避けて、番外の道草として大峰に入りましたが、ここは街道風情を残す静かな村でした。
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四辻ー郡津
村野の浄水場を過ぎ、がらと川を出鼻橋で渡ると交野市郡津に入り、また旧街道が復活します。同じ田んぼを見ても安らぎを覚えます。郡津は郡津の茶屋があって賑わったところ。また、古代条里制の元で、交野郡の郡衙が置かれ、郡内で集められた貢租米を蓄えるたくさんの米蔵が建っていたといいます。
今はその面影もない静かな街道沿いの村です。
詳細はブログで
細切れ道草・東高野街道(2) 四辻-郡津
茄子作ー星田
天野川を渡って茄子作ー星田と歩いていきます。この区間も都市化(住宅化)と第2京阪および、そのアクセス道路の整備で街道らしさは微塵もありません。ただ昔そうであったという道路は残っているのがせめてもの慰みか。ここを最初に歩いたのは2005年ですが、今はどう変わったか、検証ウォークをすべきだろうなと思う今日このごろ。
詳細はブログで
細切れ道草・東高野街道(2) 茄子作-星田
また八幡の吉井から東高野街道に別れて山側を通ってきた山根街道が上ん山の辻で合流します。上の写真で道標の向こうにあるのが山根街道。
通しで歩いた記録はこちら
郡津ー大谷【補遺】 2005年10月2,7日
2009年の4年前、今(2014年)から9年前の記録です。カメラがイマイチのせいもありますが、少し小奇麗になったかな、という印象です。しかしそのキレイさは都市化のキレイさであって、古街道としての熟成とか洗練さではないように思います。
詳細はブログで
星田ー大谷【補遺】 2009年7月11日
星田から大谷(南大谷の大師堂)までは、こちらのウォークの方が詳しく見ています。交野市境をトレースした時の記録で、星田から南大谷までは東高野街道と交野ー寝屋川市境とがほぼ同じです。
大谷の街道筋と南大谷の大師堂付近の街道は、昔はこうであったろうと推定が楽しくなる道です。南大谷の大師堂北には、東高野街道が分断され「地道」のまま残っています。
詳細はブログで
星田/大谷-打上
南大谷ー四條畷 2005年10月2日
最初に東高野街道を歩き始めた区間です。打上や忍が丘のあたりは結構街道が残っていて楽しめますが、塚脇町あたりから国道歩きになり、それを避けようと四條畷駅周辺は迷走しています。写真も古いし、早急に歩き直したいと思います。
ブログを参照ください
忍ヶ丘ー寺川
忍ヶ丘から四條畷市の東高野街道案内看板に沿って歩きます。この看板、なかなか力が入っています。 四條畷市歴史民俗資料館辺りまでは、旧街道の風情が伝わる、歩いて楽しい道です。この資料館も手作りの楽しさが伝わってくるお気に入りの場所です。
大東市の四條畷駅周辺は国道に吸収されるので、路地を徘徊、このほうがおもしろい。
北条から旧街道が分かれるので、大阪産大のある寺川までは野崎観音門前の道をゆったりと歩けます。
詳細はブログへ
中垣内ー日下
中垣内から日下、石切までは国道歩きになります。それではあんまりなので、山側の南下道を探しながら歩きます。中垣内、善根寺、池之端、日下と古い街が続きますが、歴史的にも重要な場所なので丹念に見て歩きましょう。昔は(今も)大坂から河内平野を横断してきた諸街道が生駒越をする場所です。特に日下直越の起点になっている村々です。
詳細はブログへ
日下直越については
【道草】日下パラダイス 2014年1月
日下直越を歩く際にうろうろしました。「歴史」の村であると同時に「森にふれよう、森をささえよう」とのキャッチフレーズで新たなパラダイスを作ろうという動きに触れることができました。
詳しくはブログをどうぞ
石切ー瓢箪山
名にし負う「石切さん」,石切剣箭神社の門前町です。ご祭神は饒速日尊と可美真手命。文句あるかというほどの神社です。昔の話はともかく、大阪のおばちゃん達が闊歩するえらく庶民的な門前町でありました。
ここから瓢箪山までは、国道でなく昔ながらの街道筋です。途中の鳥居町からは、道草して枚岡神社にお参りしましょう。
どんどん歩いて行くとひょっこり瓢箪山に到着します。楽しい街道歩きです。
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暗峠・奈良街道も歩いてください。
東の旅1 高麗橋-南生駒(その6)
瓢箪山ー六万寺
瓢箪山といえば瓢箪山稲荷。まずはここに立ち寄ります。明治時代初めに「辻占」を創始し、「淡路島かよ ふ千鳥の河内ひょうたん山恋の辻占」として日本全国に有名になりました。
瓢箪山はお稲荷さんだけでなく、東大阪市立郷土博物館があり、その近辺に密集しているという山畑古墳群(横穴石室が多い)も有名です(見ていないけど)。住宅開発などで破壊されたものが多いのが残念。
街道は国道に吸収されるので、より山側の道を探しながらあるくのが吉かと思います。
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大竹歴史の道
心合寺山古墳が復元されていて古墳学習にはもってこいです。この古墳は美しい!
周辺は大竹という在所ですが、より山側の神立を含めて、東高野街道の中でも1,2を争う美しい村里です。東高野街道からはズレますが、ここは道草してでもじっくり1日かけてもよろしいかと。
十三越の十三街道がクロスします。
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十三越については
信貴山口ー恩智
服部川ー信貴山口から街道復帰するまでは街中徘徊です。心落ち着く街歩きが楽しめます。
さて、いつでもどこでも河内音頭。場所が必要なのでどこでもという訳にはいきませんが、ことあるごとに河内音頭を楽しむようです。恩智神社へ行く前に見つけました。まさにDeep Kawachi. 途中で河内音頭ならではスタアが登場して、本日のハイライトを迎えました。満足! おかげで、恩智神社はパス。
道端にさり気なく安置されているお地蔵様も心に残ります。
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堅下ー安堂
堅下界隈はまたまた道草で、山手の道をぐにゃぐにゃ徘徊します。「なでひこなでひめ」という変わった名前の神社があります。背後にそびえる高尾山を神体山としていて巨大な磐座があるようです。鐸比売神は雨乞いの神様らしい。山手の道には入ってみるものです。
安堂は大和川付け替えの起点です。中甚兵衛碑が新大和川の方を向いて建っています。この人のおかげで河内平野は、そして大坂も劇的に変わった。ボクが水に関する紀行を書いているのもこの人の影響を受けてのことです。
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安堂ー道明寺
安堂で大和川を渡り、堤防の上を少し歩くと石川合流点が見えます。その後街の中に入って行くと、そこはもう古墳ロード。まずは市ノ山古墳(允恭天皇陵とされている)を見ます。
道明寺八幡宮には修羅(復元品)が飾られれいました。発掘された実物の修羅近つ飛鳥博物館と藤井寺図書館に展示されていて、5世紀中頃のもので、土師氏によるものだそうです。
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道明寺ー古市
古墳ロードをゆく。応神天皇陵古墳周回ロードが設定されているので半周しました。大きすぎて写真に入りません。山としか思えない。
しばらく本街道を歩いていないので、街道を少したどってみました。カラーブロックで舗装されていてとても気持ちのよい道です。この東高野街道ウォークを思い立ったのも、以前ここを歩いたのがきっかけです。
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竹内街道ウォーク・古市編 2005年9月18日
古市ー富田林
2005年秋、古市の街を散策しているとちょうどだんじりが出ていました。誉田八幡宮の祭礼の日でした。町内のものを数基みましたが、この鍛冶町のものがちょうど辻回しをするところでした。商工会館の壁にへばりついて見ていました。商工会館はその時はまだ建っていましたが、今はもう解体されています。ちょうど整地に入ったところでした。価値あるものがどんどん壊されていく。残念。
富田林への道は国道に並行して旧街道が走っています。ところどころで路地に迷い込んでさまようとおもしろいですよ。石川の河川敷は開放感があります。
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竹内街道ウォーク・古市編 2005年9月18日
富田林寺内町
富田林寺内町は16世紀半ばの戦国時代に作られた一向宗の宗教自治都市です。石川の河岸段丘の上に作られ、周囲にある坂・崖が都市を防御し、ここを通る種々の街道も限られた坂を通って出入りしていました。
都市の中は寺院だけでなく、古い商家、倉などがよく保たれています。現役で住まわれている家も多くあります。
せっかくなので1日をかけて散策すれば見つけられるものも多いはずです。
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寺内町再び
再び寺内町です。全部回るには圧倒的に時間が足りません。商家、倉、お寺などは新しく改築してあったり、きれいに清掃が行き届いています。それら文化財然とした建物ををみていると、ツタの絡まった古家(喫茶店らしい)がものすごく新鮮に見えます。
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富田林ー汐ノ宮
東高野街道は一里山口から入って,富筋から向田坂へ抜けていきます。かなりの段差があり、この坂道を利用して堅固な防御をしていたのがわかります。
街道は、川西、錦織と石川の左岸河岸段丘の上を通りますが、滝谷不動の手前で石川の河原近くに降りていきます。滝谷不動さんのお参りの道を兼ねr¥ているのでしょう。沿道は昔ながらの風景でとても落ちつくところです。
一旦国道に合した街道は汐ノ宮手前でまた段丘に上がっていきます。
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汐ノ宮ー河内長野
段丘上の街道は向野町あたりで、また低地に入ります。新道からちょっと横道に 入っていきますが、古い祠や土塀の家があるので、ここが街道の名残なのでしょう。
極楽寺の大仏さんの背中が見えるあたりで二手に分かれますが、大仏さん近くを通るのが本来の街道でしょう。
河内長野駅前で、東高野街道は終点です。ここには楠町で合流した中高野街道、西高野街道も合流し、新たに高野街道として、高野山に向かっています。
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京都・八幡から北河内を経由して, 南河内まで歩いてみて,ちょうど3~4月ということもあり,野山,脇道や路地,民家の軒先は非常に美しさにあふれていました。一転,国道筋や駅前は騒がし く,どこにでもある風景。そのほんの数十メートル離れたところは,新しい家もあるものの,落ち着いた街を形成しています。その中で古いものが存在感
を示しています。古いもの全部よくて新しいものは悪いという気は,さらさらないですが,古いものは年を経た美しさを持っている。古さの価値のようなものを 感じたウォークでありました。
さらに、道草や脇道をもっと押し進めると、東高野街道の生駒山側は南北に連なる道がありそうです。街道ではなく、生活の道なので一本道ではなく、カクカクと曲がるところもありますが、そこには古い神社や遺跡、石像、農家、旧家など散在しています。モザイクのように新しい住宅開発がされていますが、うまく共存するのか?共存を願いつつ、その道を探しながら歩いてみたい気になっています。
(とりあえず終わり)