熊野古道・九十九王子をあるく

熊野街道九十九王子位置図(力持神社で頂いたもの)
熊野街道九十九王子位置図(力持神社で頂いたもの)

紀伊路事始

    今回は紀伊路です。
    一応,熊野古道のうちの紀伊路なのですが,古道という風情でもなかったので,熊野街道・紀伊路としておきます。熊野古道・中辺路は行ったことがあって,まことに気分の良い古道歩きだったので,これに連なる海岸沿いの熊野街道を歩いてみたいとは思っていました。

名田-塩屋                   2005年6月21日

【熊野詣】
    京都から三十石船で淀川を下ってきて,大阪は天満橋から,延々と海岸の道を九十九王子巡りをしながら,さらに,田辺から山に入って中辺路を通り,熊野本宮 へ,というのが,都からの最も来やすい巡礼の道(熊野街道紀伊路)だと思うのですが,あまりに遠すぎます。天皇や高貴な御方の巡行は,車とか馬とか使え るのでよいとして,本当に庶民が蟻の行列の様にして巡礼したのか?信仰とはいえ,すごいエネルギーだと思います。果たして熊野詣とはなんだったのか?まずは,どんな道か気になります。これは確かめてみなくてはいけません。

    今は亡き,(先代・5代目)桂文枝師匠の「熊野詣」では,

 
昔から、伊勢へ七度、熊野へ三度てなこと申しまして、お伊勢参り同様、熊野詣でも大変盛んやったそうです。

ということなので,お伊勢参りにも迫るようなにぎわいだったようです。

    ここでちょっと訂正。以前の中辺路行の前に(1998年頃),「落語で熊野詣を聴いた」と,どこかで言った記憶があるのですが,文枝師匠の「熊野詣」は,そ れより後の(最近の?)新作らしく,この発表までは,お伊勢参りの落語はあっても,熊野詣のものはなかったそうです。ということで,訂正しますが,あのと き聴いたのは何だったか?お伊勢参りだった
紀伊路ウォークか?
    お参りの道中で,二またになったところで蕎麦屋が(茶店か?)があって,その蕎麦屋に入って,その土地の名物?蕎麦を注文して,・・・・「やいやい言いな が ら歩いて行きます。」ということで,お時間がよろしくなった,と記憶していました。その道中は,まことにのどかな田園や山裾の道を歩いている様子で,ぜひ その蕎麦屋のある道を歩いてみたいと思っていたのですが・・・・。(筆者注:これは東の旅でした)

【雨の熊野街道】
    和歌山高専での仕事が終って,さてどうしよう。御坊までのバスはあと2時間待ちなのです。雨もポツポツ
降っているし・・・。仕方がないので喫茶店で待つことにしました。30分程ねばってしびれを切らした頃,雨も強くならないようだったので,「途中でバスが来そうだったら乗ったらよい。」と思って,歩いてみることにしました。(2:34)

   高専の前を横切る小道は,昔からの家の間を通っていて,これが昔ながらの熊野街道・紀州路のようです。ほんの少し南へいけば,上野王子らしいのですが,雨が降っているので,北へ道をとりました。これは生活道路となっているようで,舗装してあります。少し行くと,家並みが途切れて,いったん国道に合流します。雨がパラパラと降り出したので先を急ぎます。

    ま もなく国道と分かれて,村の中への登り道に入りました。その入り口にちょうど橋があって秋近橋というようです。登り道の脇に大きなスダジイと思われる樹が あって,夏にはよい木陰を提供するようで,大きさといい,樹形といい,なかなかの樹だったのですが,雨も降るし,落ち着いて写真を撮る間もありませんでした。

   このあたりの樹は,いわゆる照葉樹林で,北方系の落葉樹が好きなボクにはあまりなじめません。この辺りは野島というようです。

   村を過ぎると(2:48),ビニールハウスのところに出ました。あとで調べると花を栽培しているようです。
    また国道に出て,バス停を確認。まだ御坊行きのバスには時間があるのでもうしばらく歩きます。海産物屋のところには万葉歌碑があるようですが,雨なのでパス。まもなく海が迫ってきました。なんでも,阿胡根の浦といって,ここから見る壁川崎は絶景らしいです。(2:54)

    こ こを過ぎるとまた,国道と分かれ,村の中に入ります。この村には清姫草鞋塚があるようなのですが,良くわかりませんでした。あとで写真を調べてみると,そ ういえばそれらしいお堂があった。「これは何かな?」という感じのものです。ビニールハウスもある畑の中の小道を雨に追われて急ぐ,という感じで飛ばして いますので・・・・

 

    途中,製材所がありました。昔,子供のころの通学路にも製材所があって,通るたびに樹のにおいがツンとしていたのを思い出しました。かなり強い匂いですが,なかなかすがすがしいと思います。さすがに樹の国で す。
    海側にも道があるようで,ちらと見た感じでは,そちらの方がいかにも街道の感じでよさそうなのですが,雨も気になるし,バスの時間も気になるし。

   国道にであったところに祓井戸の碑が建っていました。このあたりから,古街道は山手を走っているようですが,ボクは国道のロードウォークです。関電の火力発電所入り口のあたりには古代遺跡もあるらしいのですが,雨とバス時間が気になるので,パス。
まもなく村に入り,国道沿いの歩道がやたら狭くなり,海側の道をとろうと思ったのですが,港へ降りる道らしく,急坂だったのでやむなくロードウォークを続けます。
    塩屋にきて,もう少し山手の熊野街道をゆけば,塩屋王子(美人王子)なのですが,バス停が見えてきたので小休止しながらバスを待つことにしました(3:25)


【風狂の道】
    今, 嵐山光三郎さんの「芭蕉紀行」を読んでいます。芭蕉は西行にあこがれて,「野ざらし紀行」ほか風狂の旅をはじめ,嵐山さんも芭蕉にあこがれて,芭蕉追体験 の旅に出るのですが,旅の楽しみとか快楽に必要なのは「夢想」ということらしいです。(あこがれに対して)果てしなく夢想して,夢想にたえきれなくなって 旅に出ると,検証や発見ができるのだそうです。
    どうも,ボクのウォークはいきあたりばったりで,これが欠けているような気がします。い や,少しはあるかも知れません。昔聴いた落語の道中談で,まことにのどかな田園や山裾の道を歩いて,一軒の蕎麦屋での情景から,「ぜひその蕎麦屋のある道 を歩いてみたいと思った。」のはそんなものかも分かりません。風狂とまでは行ってはいないのですが,これが嵩じると風狂になるのでしょう。

    このウォークの終わりに,蕎麦屋はなかったものの,紀伊路らしい道を見つけました。バス停から海側に少し入ったところで,本来の紀伊路は今の国道よりも山側をはしっているので,これは熊野街道ではないと思います。
この小道は,両側に照葉樹の林があり,その木々のすき間から海が見え隠れして,登ったり下ったりして,時々小広い平地に出る・・・・。こんな感じが熊野古道・紀伊路であって,そこを高貴な御方も庶民も熊野三山を目指して歩いていった。そんな感じがする小道でした。
    雨の中の蒸し暑いウォークでしたが,この小道を見つけたことで満足した気分になり,ちょうど来た御坊行きバスに乗り込んだのでした。


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