石狩岳~大雪縦走

1967年7月21~8月1日

 

 

 初めての本格的な山行、かつ初めての北海道ということで覚えていることも多いが、そうではないのもある。WVの夏合宿だったが、スケジュールなどは7月末から、くらいしか覚えていない。それは記録をみるとして、覚えていることを順に・・・

 

1.大阪駅中央コンコース集合

 定番ですね。お昼ごろから並んで待つ。交替でメシ食ったり、買い物補充をしたり・・・何かの担当で、旭屋(阪神裏あたりにあった旧店舗)裏あたりに何かを買いに行った記憶がある。

2.急行「日本海」

 まだ「日本海」は急行だった。その後、すぐに特急昇格となり、急行は「北国」になった。山行で乗るのは「北国」か「ちくま」が定番だった。

 青森まで長い長い旅路。夜も暑いので少し窓を開けていた。T君が発熱して、合宿参加が危ぶまれた。夜に大阪を出て青函連絡船は夜中だったか?帯広は翌日のお昼ごろだったか?北海道は暑かった!

3.上士幌・幌加温泉

 幌加まで国鉄に乗った。ディーゼルだったと思うがいわゆるストーブ列車か何かだったそうで、それは全く覚えていない。幌加温泉という名は覚えているが、温泉に入ったのではない。

 改めて地図を見てみると、キトウシ山、クマネシリ、ピリベツ、ウペペサンケ、石北峠など懐かしい名前が出ていた。

4.ニペソツ
 懐かしい名前の山のうち、ニペソツが最初に登る山だったのだが、まったく覚えていない!

 上の写真は山中に入って天狗のコルで1泊した翌朝、快晴で絶好の登山日和で、石狩、大雪、トムラウシ方面を見ているのだが、これさえも覚えていない。そんな訳で、ニペソツの「ニ」の字も出て来ない。もちろんニペソツという山名は覚えているが、登ったことさえ忘れてしまった。(どうやら霧で全く視界がなかったのが原因らしい)

5.岩間温泉のフキ

 そこからいったん下山して、石狩岳に登り直すのだが、岩間温泉にくだる。ブッシュ何時間かのだったそうだがその記憶もない。鮮明に覚えているのは、小さな沢沿いに林道があって、だれかがイワナが釣れへんのか?と言ったこと、その付近にはフキが一杯生えていて、それがまたデカイ!「たしかにコロボックルが笠に使いそうだ」と思ったこと。何としょうもないことを覚えているんや?

 6.石狩岳

 石狩岳の稜線は比較的よく覚えている。写真がないので説明しにくいが、山らしい山、稜線らしい稜線で快適に歩いたことを覚えている。

7.沼の原と五色ガ原

 沼の原はデポした荷物をボッカで担ぎ上げた後の休養日でもあり、写真もあるので、沼の原山の特異な姿とともに、よく覚えている。しかし、ボッカは全く覚えていない。部誌のレポートを読んで、へぇーと思うこと多数。ボッカのあとちょうど寒冷前線か通過して、雷雨にうたれて寒かった。

 五色ガ原はだだっ広い平原ということくらいで、あまり覚えていない。次の写真のシーンも覚えていない。絶好の見晴らしだったと思うのだが・・・

トムラウシ遠景
トムラウシ遠景

8.トムラウシ

 そのトムラウシはよく覚えている。写真がないのが残念だが、化雲岩あたりのテントサイトからのピストンで、お天気もよく絶好の山行だった。トムラウシ直下のお花畑は圧巻で、神の庭とはこのことかと思った。この縦走山行で、石狩岳とトムラウシはもう一度出かけてもよいなあと今でも思っている。

トムラウシ
トムラウシ

9.平ヶ岳

 これも特異な姿をしている忠別岳を過ぎると平ヶ岳というのがある。なんの特徴もない平たい山でどこがピークなのか分からないのだが、この山名とともに、ここを通ったことだけはよく覚えている。越後にも同名の山があって、どうしても行きたく、数年後に越後駒側から尾根づたいに登ることができた。その契機になった山で、ボクにとっての記念碑的な山だった。

10.旭岳

 旭岳まで、白雲岳、北海岳、間宮岳など2000m旧の山々が続くのだが、まったく覚えていない。旭岳さえも覚えているのは、下りのザラザラした尾根でコマクサが咲いていたことだけだ!ちょうどロープウエイかなにかができた後、時節は、知床岬などの歌が大はやりして北海道ブームだった時なので、登山の山でなくて観光地になっていて、変な格好の人達がゾロゾロあるいていた。彼等からみると我々のほうが、変なヤツラだったのだろう。まあ、今であっても、世界遺産や国立(定)公園化→観光開発→自然破壊の連鎖が続く社会なのだ。エエ加減にせえや、と思う。

 湯駒別に降りたと思うのだが、そこで1年一同、先輩にえらく怒られたのを覚えている。なんで怒られるのかよく分からなかったが、やっと下山して気のゆるみが顔や態度に出ていて、観光客に奇異な目で見られる、ということを心配したのだろうと思っている。あまり変な顔はしていないつもりだったが・・・

五色ガ原から大雪山・旭岳遠望
五色ガ原から大雪山・旭岳遠望

11.合宿以後

  それぞれの計画であちこちうろつく計画だった。同期のS君と2人で、道東を回った。

たしか、ルートと日程は・・・・

1.帯広-釧路◆-(標茶)・・・・(網走◆)-原生花園◆-浜小清水
2.-斜里-(バス?)-(根北峠)-(標津)-根釧原野・歩き◆-別海-厚床
3.-根室-厚岸◆-釧路-帯広
4.-愛国-幸福◆-大樹-広尾-歩きとバス◆-庶野
5.-(襟裳岬)-様似◆-新冠-鵡川-苫小牧◆-伊達-森-函館◆
6.青森◆-八郎潟◆-象潟◆-新潟◆-宮内◆-来迎寺-直江津-糸魚川
7.敦賀-米原-京都-綾部◆

泊地など、はなはだあいまいだが1日くらいの誤差があるかもしれない。◆印はなんらかの記憶がある場所だ。

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1.釧路◆毛ガニのゆでたのが150円だったので、買った

1.網走◆網走番外地シリーズが大人気だったので、網走まで行ってみた。番外地は行かずに駅近くの農協みたいなところで休憩していたら、近くで沖縄舞踊のデモをやっていた。

1.原生花園◆駅で降りて歩いてみた。ハマナスは時期はずれでちょっと貧相だった。多分、浜小清水の駅で寝たような。

2.根釧原野◆歩いてみた。全面牧場みたいなところでとにかく広かった。本来は野付岬の砂州を延々と歩く予定だったのだが、楽な方に引っ張られた。

3.厚岸の列車の中で、アツケシソウはどこや?なんて思った記憶がある。

4.愛国-幸福◆当時、これも大ブームだった。幸福駅は降りてはいないが、普通の田舎の駅だった。

4. 庶野◆ここにつくまでバス区間で一部を歩いた。小さな漁村で昆布が大量に干してあり、トラックも昆布満載で走っていた。帰宅後母親に話すと「なんで買って こんの」と怒られた。当時そんなに貴重なものとは知らなかったもんで。道端で寝た記憶がある。車道分岐の斜面が草原になったような所だった。

5.様似◆本当の目的2は、アポイ岳に登ろうとしていたのだが、結構疲れていて登山はやめた。

5.苫小牧◆それまで、新冠とか鵡川とかの駅を覚えているが、鈍行でチンタラチンタラなので、社内の隅っこのベンチに陣取っていたのしか覚えていない。さすがに臭くなって、夕方銭湯にいったような気がする。

5.函館◆青函連絡船は夜中だった気がする。

6.青森◆特急白鳥に乗った。運賃節約でとりあえず新潟まで帰る

6.八郎潟◆広い干拓地一面に稲が植わっていた。

6.象潟◆遠くに海岸線を見ながら芭蕉が歩いたとかなんとかの感想をもった

6.新潟◆列車を乗換えたが、何に乗ったかは忘れた。

6.宮内◆車内から見えた駅前食堂が気になった。直江津かどこかで乗換えた気がするが忘却の彼方。夜行列車?

7.直行で帰省した。4時頃着いたと思うのだがさすがに疲れて、玄関先の、豆かなにか干している筵で寝てしまった。

 

■以上、肝心の山で鮮明に覚えているのははトムラウシと平ヶ岳くらいだ。あとはショウモナイことばかり覚えているもんやなあと・・・・

 

 

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